2015.08.30 UP

宮田徹也氏(日本近代美術思想史研究)より、関・高星展の展覧会レビューをご寄稿いただきました。

関_高星_サムネイル

「重力と時間を乗り越える」 宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

“EXISTENCE 存在/二つの代謝する細胞”
関直美+高星秀明(2015年8月29日~9月27日)

gallery COEXIST-TOKYOの企画で、年齢も活動場所も異なる二人展が実現した。パンフレットには「有機体が持つ、伝統を受け継ぎながらも環境に合わせ変化して行く柔軟性、伸縮性。本展では、ふたりの個性がひとつの空間に存在することで生まれる境界線、あるいは出会いの領域を探ることを試みます」とある。「代謝」には「生体内で、物質が次々と化学的に変化して入れ替わること、また、それに伴ってエネルギーが出入りすること」という意味がある。生体内を画廊とし、物質を作品とし、化学的を存在的にと言い換えると、異なる二人によって制作された作品群が同画廊に展示されることによって、それぞれの作品が持つ存在の可能性を引き出すという目的が明らかになる。

 

画廊の企画意図は当たり、両者の特性が充分に引き出される展覧会となった。画廊内で、二人の作品に境界線は引かれていないが、入り乱れることはない。高星の作品は8点、関の作品は大小合わせて計80点を越す。数の問題ではない。高星の作品は台座に載っていないものもあり、関の作品は彫刻にも関わらず絵画のように壁に掛けられ、柱に立てかけられ、床に展開する。広い画廊を見渡すと二人の作品は違和感が生まれないほどに慄然としている。近づいて見ていると個々の作品に魅了され、視線を移していく毎に新たな発見が細部にあり、作者という個人に還元されることなく各作品の個性に集中できる。同じ作者の作品でも、作品ひとつひとつに独自性があり、それが総体として理解されるのだ。

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以上を前提に、それぞれの作者の作品として言及する。高星の作品は楼閣が砂の中へ埋もれていく瞬時の状態を作品として留めている。瞬時と雖も、埋もれていくのではなく晒されていくのかも知れないし、何万年、何億年という人知を超えた歳月を抱えているともいえる。常識的な時間軸を、高星は揺さぶっていくのだ。細部に目を投じると、石を切り出す、煉瓦を制作する、それら素材を構築し、建築ではなく構造物を創り上げる人間の営みの歴史を想像させる。それが単なるミニチュアの世界観と異なるのは、高星が彫刻の技法から作品を制作している点に集約される。建築と彫刻の思想は明確に区別される。彫刻は重力と人間存在の闘争であり、建築にある人間の利便は排除される。

 

関の作品もまた、重力との闘いが主題となっている。《割れたテーブル》が象徴するように、地に落ちることが重力への敗北を感じさせず、それどころか落ちることの美しさ、重力を甘受し賛美しながら解放される様を示している。壁に掛けられようとも、柱に立てかけられようとも彫刻としての意義が失われない。木、シリコン、プラスティックなどの異なる様々な素材は融合も離別もせず、一つの彫刻としてそこに存在する。それぞれの作品は連作でも変相でもないにも関わらず、総合としてのあり方を提示している。それはつまり、オリジナルやマトリクスという権威的な表現を乗り越え、作品ひとつひとつの個性を重視しており、人間一人一人を尊重することにも繋がっている。

 

この空間の中で、モダンダンスを習得しながらもモダン=近代に対して単なる定義に陥らず、自己が生きる姿を問いかける深谷正子と、バンドという音楽活動に限定せず、音という存在のあり方に対して挑戦を続ける濁朗がパフォーマンスを繰り広げた。二人は床の作品群を縫うように素早く歩き、時折、手を叩く。深谷は関の《割れたテーブル》の前でだらりと手を下げ、人間と作品の重力のあり方を確認する。濁朗は自らの身体を叩く、傘を小突く、スマートフォンのアプリを使って、様々な微細な音を形成する。深谷は高星の《白風景7》に首を晒し、作品内を覗き見る。深谷の踵、濁朗の足踏みが彫刻群のあり方を強調し、新たな問題を投げかける。30分程の作品群とのコラボレーションであった。

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