2013.10.01 UP

「糸を分ける」 久村卓・山極満博・渡辺望

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会期:
2013.10.5 sat - 11.3 sun
企画:
gallery COEXIST-TOKYO
入場料:
無料
主催:
株式会社ZEエナジー
時間:
11:00 - 19:00

この度、gallery COEXIST-TOKYOでは、久村卓(ひさむら・たく)、山極満博(やまぎわ・みつひろ)、渡辺望
(わたなべ・のぞみ)の3名の美術家によるグループ展を開催する運びとなりました。

本展は、「会期」や「会場」といった一定の区切りを持ってとり行われ、そこに「オブジェクト(作品)」を設置する展覧会ではなく、時間や空間を生成するものとして捉え、空間の内と外の境界を外し、床につけられた傷痕、削られ、足され、また元に戻されるであろう備品など過去と未来をも取り込み、作品化したものを提示するため、必然的に会場はほぼ空に近い状態になります。同時に、3人がそれぞれのベクトルに向かうことによって、中心が空洞化するという意味においても空になると言えます。

タイトルである「糸を分ける」は「紛れる」の「紛」という漢字を偏と旁に分け、文にしたものです。これは、オブジェクトとして周りから分断された作品ではなく、周囲を巻き込み、その関係性から捉えられた—つまり、空間や時間に紛れ込んだ—ひとつの要素としての作品が配置されることを暗示しています。

バブル崩壊後、物質社会に対する懐疑は緩慢に広がって行きましたが、3.11は一瞬にして物質的な豊かさが如何に脆いかを見せつけ、私たちの生活そのものを考え直すきっかけとなりました。

建築家・隈研吾は著書《反オブジェクト》の中で、通常建築とはひとつのオブジェクト(周囲の環境から自立した、ひとつの独立した物体)であると考えられているとした上で、ブルーノ・タウトの建築がオブジェクトから離れ、関係性によって空間を把握しようとしたものだと述べている。そしてこのように締めくくる。「そしてわれわれは今、彼と同じ設問に向きあっている。オブジェクトが支配する世界の限界と衰弱に、われわれは向かいあっている。個人とは自立した孤独なオブジェクトなどではない。個人とは、境界の曖昧な不確かな拡がりである。物質もまた、境界の曖昧な不確かな拡がりである。オブジェクトへと切り分けた途端に、物質はその魅力の大半を喪失する。(略)主体も物質も、ともにオブジェクトに切り分けられる事を強く拒絶しているのである。すべては接続され、からみあっているのである。」*

意識を物質化すること、視覚化することが美術家の仕事であり、それに価値付けしたものが芸術作品の在り方だとしたら、美術家は私たちの生きる世界で起こる物質と意識の分断と縮みゆく物質の価値をどう捉えるのでしょうか。

オブジェクトから離れ/周囲にとけ込み/痕跡は消され/関係性を見つめ/遠くからそっと語りかける彼らの仕事に、今私たちを取り巻いている世界の延長として触れてみると、そこには何もないのではなく、限りない豊かさが広がっている事に気付かされます。

本展では空間から派生させたサイトスペシフィックな作品の展示と小作品の販売をいたします。ぜひご高覧ください。

*隈研吾「反オブジェクト 建築を溶かし、砕く」2009年 筑摩書房 p.67

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 かつて私は歴史や批評を縦糸と横糸とみなし、それによって作られる織物に美術作品を位置付ける試みについて語ったことがあったが、それは正しい比喩ではなかった。乱れることがないようにきっちりと歴史と批評が編みこまれることなどないからだ。新しい作品が生れることでそれらは何度でも修正を加えられていくはずである。

 とりわけ、あらかじめ見る者との間に共通認識されているであろう文脈を、素材や言葉にではなく空間のほうに差し向けて作品をつくる傾向において、この比喩は有効ではない。素材や言葉へ自己言及する作品のような可動性は持たず、その場限りの空間をつくりあげ、そこに身体を置いた者だけが経験することに大きな意味が託されるからだ。

 山極満博、久村卓、渡辺望の3人は、空間的な文脈づくりを異なる手法で作り上げる作家たちである。ただし、その空間はかなり流動的な特徴を持っている。見えているはずのものが見えない、見えないはずのものが見える。その理由はおそらく、見ている主体を人間(作者)とはみなしていないせいではないか。ふと思い出すのは、映画の名撮影監督田村正毅が、役者ではなくその場の気配や、前後の時間さえも捉えようとしているような試みである。役者は背を向けていることもあるし、あまり注意を向けない対象が大きく映り込むこともある。意識から逃れる何かを捉え、あるいは捉えそこないながらも、見る行為が持続するような感覚。もしかしたら、彼らは人間ではなく自然を、見るための主体として呼び戻しているのではないだろうか。私たちは見ているのと同時に見られている。そのあいだを揺れ動き続けるような作品が糸と糸の分け目を押し広げる。

住友文彦(アーツ前橋館長)

 

【Opening Event: 10月5日|土|】 ※参加費無料
■ トークイベント 17:00 – 19:00
「 糸の意図 -流動的な空間をみること 」
住友文彦(アーツ前橋館長)
久村卓
山極満博
渡辺望
■ レセプションパーティ 19:00 – 20:30

【Sound Event: 10月19日|土|】 ※参加費無料
■ 17:00 – 19:00
笹久保伸(ギタリスト/作曲家)と渡辺望による「音」の作品。
会場床の痕跡を図形楽譜に見立て音源化した作品「TRACE」のライブ演奏を行います。
会場から生まれた「音」を再びもとの空間に落とし込みます。